「供養」という言葉は、葬送儀礼を考えるうえでは必ずといってもよいほど目にするものです。
ただ、「供養」という言葉の深いところまでは知らない人も多いものです。
ここでは「供養」の意味と、その考え方についてお話ししていきます。
「供養」という言葉は、幅広く使われているものです。
一般的には、亡き人のことを思い、その人の冥福を祈ることだと解釈されています。
キリスト教や神道においても、この「供養」という単語が使われることがあります。
しかし厳密にいえば、「供養」は「仏教用語」にあたるものです。
上でも述べましたが、「冥福を祈る」の「冥福」もまた仏教の死生観に基づくものであり、キリスト教や神式では原則としてこのような言葉は使いません。
キリスト教では、死は神様の元に行く喜ばしい儀式のひとつとしてとらえられますし、神道においては亡くなった方は(冥土にいるのではなく)神となって子孫を見守ってくれると考えます。
このため、「供養」という言葉は使わないのです。
ただ、すでに述べた通り、「供養」はよく広まった言葉でもあります。
そのため、専門サイトなどでも「神道における供養とは」「キリスト教における供養とは」といった取り上げられ方をすることもよくあります。
本来は仏教用語である「香典」を使った「香典返し」という言葉が神道やキリスト教にも用いられているように、「供養」もまた、ほかの宗教にも適用されている現状があります。
「供養」は仏教における追悼儀式のうちのひとつですが、神式やキリスト教ではどのようにとらえるのでしょうか。
これには、それぞれの宗教の死生観が大きく関わってきます。
宗教ごとの違いを紹介していきます。
仏教の供養は、主に「仏教供養」「追善供養」「行供養」の3つに分けられます。
仏教供養とは、仏様に対してお祈りや供物をささげる供養をいいます。
飲食や香、あるいはろうそくなどを捧げる行為がこれにあたります。
追善供養とは、亡くなった人のために行う供養のことをいいます。
その代表例ともいえるのは、「四十九日法要」です。
また、お墓に赴くなどの行動も追善供養に当たります。
行供養は、仏道の修行のことをいいます。
ただこれは、厳しい修行だけを指すものではありません。
だれかに対して善い施しを与えたり、善い行動をとったりすることも含まれます。
これらの行動を行うことは、すでに亡くなった人の徳を生きている人間が追加で積み重ねることにもつながると考えられています。
仏教においては、ある程度の期間ごとに追悼供養の儀式を行います。
これは一般的に、「法要・法事」と呼ばれているものです。
もっとも有名なのは「初七日法要」と「四十九日法要」でしょう。
本来は初七日法要は、故人が旅立ってから7日目に行われるものでした。
しかし現在は、火葬したその日に「繰り上げ初七日法要」として行われることも多くなっています。
また、四十九日の供養も、「49日目ぴったり」に行われるのではなく、その前の週の土日などに行われることが多いといえます。
神道の場合、亡くなった人は氏神様となって子孫を守ってくれると考えます。
このため、ご先祖様(亡くなった人)をお祀りするものとして、「祖霊舎(それいしゃ)」を設けます。
ご先祖様は、この祖霊舎に置いた霊璽(れいじ。仏教における「位牌」)におわすと考えるのです。
そのため、日々のお参りはこの祖霊舎に対して行うことになります。
祖霊舎に、米や塩、また仏教でも使われるろうそくや水などをお供えしてお祈りすることになります。
なお祖霊舎は、神様を祀る「神棚」よりも下の位置に置くのが正式です。
ただ、置く場所には明確な決まりはありません。
神式の場合は、仏教とは異なり「霊祭」を行っていくことになります。
四十九日法要に対応するのは「五十日祭」です。
また、一年祭なども行います。
キリスト教は、大きく分けて「カトリック」と「プロテスタント」に分けられます。
この2つは同じ「キリスト教」に分類されますが、死後の魂がどのように過ごすかの考え方などに違いがあります(ここでは大きくは取り上げませんが、教会のかたちや祭祀者の呼び方なども異なります)。
カトリックでは「神の御許で永遠の命を得る」と考え、プロテスタントでは「神の御許に控え、お仕えする」と考えます。
いずれの場合においても、キリスト教では死を「悲しむべきもの」とはあまり捕らえません。
そのため、故人が召された後に行われるさまざまな追悼行事は、故人を思い、その旅立ちを自らのなかに受け入れていくために行われるものです。
キリストにおいては、本来は「仏壇」は設けません。
しかし日本の場合、キリスト教が厳しく弾圧されていた時代に、キリスト教ではないことを示すために仏壇を持つ人も多かったという歴史があります。
そのなかで、仏壇もまたキリスト教の生活に溶け込んでいきました。
非常に古いデータですが、1986年のデータ、「キリスト教徒の4人に1人は、家に仏壇がある」としています。
また現在では、キリスト教用の家庭祭壇を展開している業者も多く見られます。
このような「キリスト教用の家庭祭壇がある家」においては、故人を悼むための象徴として、また日々の祈りを捧げる象徴として、毎日手を合わせるなどしていることもよくあります。
一般的にキリスト教のお参りは教会で行われますが、家庭用祭壇にお参りをして、故人へのお祈りとすることも珍しくはありません。
なお、キリスト教では故人が昇天して1か月のタイミングで追悼儀式を行います。
故人に思いを馳せる方法や死生観については、宗教ごとに大きな違いがあります。
また、「供養という言葉が適当か不適当か」も、人や宗教によって異なります。
ただ一番大切なことは、故人を思い、故人を悼み、そしてその旅立ちに残された者が向き合うことだといえるでしょう。
あらゆる追悼儀式・供養は、そのためにあるのです。